ランプ

 さいきん急に思い出したんだけど、ちっちゃい頃、ナイチンゲールに憧れてた時期がある。子ども向けの伝記を読んだのがきっかけだった。看護師になりたかったわけではなくて、ひとつの職業のイメージを塗り替えたという功績にすごくロマンを感じたのだった。
 ナイチンゲール以前の「看護婦」は、身分が低く、教育を受けていない女性が就く職業として蔑まれていたらしい。専門職というより召使という発想だったんだと思う。今は逆に看護師は激務のイメージなどもつよいからどうだかわからないんだけど、わたしの幼少期には看護婦は「白衣の天使」として、女の子の憧れの職業だった。ナイチンゲールがなにもかも変えたのだった。わたしはそういう話がほんとうに好きなのだ。
 ナイチンゲール本人はわりとお嬢様育ちで、親はお金持ちだし、高度な教育を受けて育っている。病院に就職したのをきっかけに、当時の看護の実情に直面して危機感と使命感を抱く。のちにクリミア戦争という戦争に看護婦として従軍し、戦場でめちゃめちゃ大活躍して兵士の死亡率を下げた功績を利用して終戦後に看護学校をつくり、それまでとはまったくちがった、専門知識を有した看護婦たちを育成する。
 ナイチンゲールというと、みんながまっさきに思い浮かべるのは、戦争中に負傷兵に献身的に尽くす姿だと思う。夜回りを欠かさなかったナイチンゲールが、ランプを持って病床の兵士を見舞う姿が伝記の表紙にもよく使われている。よくあることだけど、一般的に流布しているイメージはたいてい誤りである。ナイチンゲールが従軍していたのは生涯のうちのほんの二年で、従軍経験はのちの病院の建設などにつながる契機にはなったものの、彼女の残した功績の全体像にはほとんど関係がない。自己犠牲を良しとしない合理的な性格で、はっきりした物言いをする人だったことも知られている。ナイチンゲール本人は「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」という言葉を残している。あの絵のなかでナイチンゲールが手にしているランプは、その場で負傷している兵士たちではなく、その後の看護業界を長く長く照らすランプだった。
 伝記は、とくに子ども向けの伝記だと、道徳的な効果を狙ってのことか特定のイメージやエピソードを固定するので、幼少期のわたしが読んだ何バージョンかの伝記のいずれにおいても儚げで献身的なナイチンゲール像が描かれており、「屈強な兵士たちが、ナイチンゲールを前にしたときだけは彼女を聖母とみなして甘えた」系のじゃっかん気持ち悪いエピソードもよく搭載されていた。わたしはナイチンゲールの献身性に惹かれたわけではなかったので、そこはわりとどうでもよかったのだけど、ある本に「『白衣の天使』のイメージがあるけれどじつはめちゃめちゃ性格がきつかったらしい」という裏話風の記述があって、それはなんとなく嬉しかったことはおぼえている。
 わたしは、じぶんも将来的になにかの職業のイメージを塗り替えたいと思って、イメージを塗り替える必要のある職業を身の回りで一生懸命探した。しかし、それがなかなかみつからないのだった。「ちょっと地味だな」とか「取り立ててなりたいとは思わないな」と思う職業はたくさんあったけれど、ことさら塗り替える必要がありそうな職業は見つからなかった。ナイチンゲールの時代からずいぶん時間が経って、世の中の職業に対する偏見や労働環境の悪さはすべて改善されきってしまったのかなと不安になった。大人になってみてからやっと「イメージの悪い仕事」はまだまだ世の中にはたくさんあることを理解した。ありすぎるくらいだ。ただ、それらは子どもの目からは隠されているのだった。
 それでも、やっとのことでみつけたのが「汲み取り屋さん」だった。そのころ田舎の家に住んでいて、トイレがまだ汲み取り式だったのだ。定期的にバキュームカーが汲み取りにくる。あの職業は、イメージを向上する必要があると思った。手始めにかっこいい制服をつくることなどを考えた。わたしは正直言って汲み取り屋さんになるのはすごく嫌だったんだけど、今の段階のじぶんがすごく嫌だと思うような職業を選ばないと意味がないんだとも考えていた(かしこい子ども!)。
 わたしは汲み取り屋さんにはならなかった。わたしは何にもならなかった。一昨年、津田梅子に急に興味が湧いて評伝を何冊か読んだり、梅子についての歌を作ったりしたのだけど、津田梅子もそういえばナイチンゲールに似たところがある。戦争じゃないけど、留学に行って帰ってきて日本の状況に危機感を抱いて大学ををつくった人で、その生涯にはかなりの共通点がある。