その運命

 ペットを飼っている人からよく聞くエピソードとして、運命的な出会いをした、目が合ったときになにかを感じた、というものがある。捨てられているのを拾った、ピンポイントで譲渡された、レアな動物なのでその個体しか入手しようがなかった、というような、選択肢のない出会い方をしたパターンもあるけれど、ペットショップなり保護施設なり、選択肢が一覧になっているような状況で、あきらかに「この個体だ」と確信する瞬間があったという話は多い。
 わたしはこの話がけっこうこわい。わたしはそういう状況でとても軽々しく運命を感じてしまうからだ。街を歩いていて、ペットショップがあるといちいち足をとめて眺めてしまう。わたしには、そのときに売られている個体はすべて運命の相手に思える。目なんかちょっとでも合ったら終わりだ。前世で生き別れた気がしてくる。気がしてくるというか、生き別れた記憶がとつぜんそれはもうあざやかに蘇ってくる。眠れない夜には保護された野良猫を里親に仲介するウェブサイトをよく眺める。そうすると、サイトで紹介されているほとんどすべての猫になにかを感じてしまう。
 だけど、もちろん「これ」ではないはずなのだ。ペットとの運命的な出会いを経た人は、「ペットショップのなかの全員」ではなく、ただ一匹を選んでいるのだ。わたしがまだ知り得ないもう一段階上の感電があるはずだ。しかし、わたしが感じている偽物の運命(?)でもわりとつよい吸引力があるのだから、本物の抗えなさはどれほどのものだろうか。わたしはその手の不可抗力にはロマンよりも恐怖を感じるので、できるだけぶつかりたくないのだ。代替はまあきくけれど暫定的にこれ、というものだけで人生を埋め尽くしたい。持っている鍵でドアが開いてしまうことを心底おそれているのに、おそれているからこそ鍵穴があればつい差してしまう。ほとんどそんな感じで今日もペットショップに足をとめている。
 今まで生きてきて、他人に対して恋愛感情を抱いたことが百回くらいあるけれど、そのほとんどはよく知っている相手に対してだ。一目惚れというのはわたしにとっては語義矛盾だ。だけど、いちどだけその一目惚れというのをしたことがある。のちに友人になるある人物に対して、初対面のとき、姿をみた瞬間、なにも話さないうちに、この人だ、と確信した。あとにも先にもそんなことははじめてだった。そして、それはふつうに誤りだった。その後、恋愛的な関係になることは一瞬もないままだけど、ならなくてもべつにわかる。
 あれはいったいなんだったんだろう?