引っ越し・急

 2020年の終わりごろ、引っ越しをした。
 子どもの頃は比較的引っ越しが多い生活を送っていたような気がするが、大人になってから自分ひとりという単位で引っ越しをするのははじめてだった。ずっと一ヶ所に住んでいたというわけでもなく、十代の後半から10年くらいはあちこちふらふら移り住んでいたのだが、そのときはじぶんの荷物の大半も住民票も親の家に置いたままでよそを転々としていたので、その生活のなかでの住居の変更は引っ越しというよりは旅のようなものだった。ふざけていたわけではなく、そのころにはそのころなりの事情があったのだ。
 旅のように身軽に住居を移すことを身体がおぼえていたせいか、あるいは自分が主体性を持たなくていい子どものころの引っ越しの記憶があるせいか、わたしは引っ越しをすこし甘くみていたような気がする。引っ越しとは、要するに移動のことだと思っていた。あるいは圧縮と解凍。あっちでぎゅっと荷造りして運んだものを、こっちでぱっと開けば、元通りの生活がはじまるのだと考えていた。そのイメージが間違っていたことを悟ったのは、なんだか窮地に陥ってからだった。
 今まで住んでいたマンションから二キロ程度の場所に新しくアパートを借りた。距離的には近いわけだし、新居の契約から旧居を引き払うまでの二重期間がわりと長くとれたので、引っ越しは比較的簡単なように思えた。ちょっとずつ片づけて、ちょっとずつ荷物を運び、飛び石を渡るときのように、気をつけながらゆっくり軸足を移していけばいいのだ。この引っ越しには生活の縮小という側面もあった。旧居は60平米ある3DKで、新居は20平米の1Kだ。面積が約三分の一になるのだから、引っ越し以前に大幅に持ち物を減らす必要があり、うかつに一気に荷物を運び込んでしまったら大惨事になることは目にみえていた。
 実際、身内の車で大きい荷物を運ぶ機会を二回ほど持ったほかは、徒歩と自転車でこつこつと荷物を移していった。
 自転車の前かごに枕を積んで真夜中のしずかな小平市を走った。
 自転車の前かごにやかんを積んで真夜中のしずかな小平市を走った。
 自転車の前かごに脚立を積んで真夜中のしずかな小平市を走った。
 うまくいっているかのように思えたのだけど、自分の生活する場所が消えてしまったことに気づいたのは11月くらいのことだった。ある日、自分がどこに帰ればいいのかわからなくなった。旧居にはもう血が通っていなかった。生活に必要な荷物はだいたい運び出しきって、不用品を一ヶ所に集めた家はがらんとしてすでに生活感を失っていた。洗濯機の跡地や、本の山の跡地が変色している。しかし、新居のほうはぎっしりと高く段ボール箱が積み上がり、その隙間にどうにか押し広げた布団の上だけがわたしの過ごせる場所だった。荷ほどきをしようにも荷ほどきをする場所がない。本の減らし方が甘かった。あきらかに部屋の容量を超えた荷物をすでに持ち込んでしまっていた。旧居は廃墟で、新居は倉庫だった。ゆっくり軸足を移そうとしているうちに石がふたつとも沈んでしまったのだ。
 引っ越しとは、移動ではない。引っ越しとは、破壊と創造なのだとそのときに思った。今まで住んでいた場所を自らの手で破壊する、その衝撃が手に残っているうちに反動を利用して新しい環境を創造しなければいけなかったのだ。わたしはのろのろしているうちに破壊と創造のはざまに落ちてしまったようだった。
 そのころ、原稿が書けなくなった。人は、家がないと原稿が書けないのだ。これは個人的にはかなり意外なことだった。なぜならわたしはもともと外で原稿を書く習慣があるからだ。書く場所についてはさまざまな流派があり、家でしか書けない人、外でしか書けない人、その両刀使い、静寂が必要な人、ざわめきが必要な人、いろいろだと思うけれど、わたしは完全に外派で、カフェやファミレスで生活用品がなにも載っていない広い机が「書け」と圧力をかけてこないと書けない。
 だから逆に引っ越しの影響はあまりないはずだと考えていた。寝るために帰るだけの住居がどんな状態だろうと、普段通りのカフェやファミレスがあれば、すくなくとも普段通りには書けるものだろうと。それが、一行書くだけでほんとうに体力を使い果たして息切れする感じになってしまった。一行書ききれずに、単語をぶつぶつ置くだけで数時間茫然とすることもしばしばだった。手書き派だったら「ペンがとつぜん石器のように重くなった」と譬えたと思う。
 散文を書くときにせよ、作品を作るときにせよ、自分の言葉に対する信用がある程度必要だと思うけれど、このころはその信用を完全に失っていたと思う。じぶんの書く言葉の行間から響く「家がない人間の言うことなど信用できない」という声を聞きつづけた。自分にとって「外」とは相対的なものであることを思い知らされた。つまり、喫茶店もファミレスもみんな「反・家」なのだ。家がなければ定義できない。
 旧居はもともと家族で住んでいた家で、家族が最大で4人か5人は住んでいたと思うけれど、そこからぼろぼろと欠けていき、わたしと弟がふたりで暮らすスイートな数年があったあとに、わたしひとりになった。だから、とっくに崩壊して存在しない家族の、だけど、幻影のようなものが家にまだ宿っていて、わたしにとって旧居を離れることはその幻影とはっきり決別することだった。物理的な「家」と象徴的な「家」の二重写しの喪失に直面したことが、わたしに言葉の出所を失わせていたと思う。
 それから時間が経ち、新しい年を迎え、わたし自身のコンディションはすこし回復した。だけど、まだ段ボール箱の隙間に寝ている。雨戸を閉めっぱなしでいちども開けていない。備え付けのエアコンがどうも自分のものだと思えなくて使えない。今いちばん不安なのは、自分がそれでもすこしずつ新しい部屋に慣れてきていることだ。部屋の段ボール箱たちは今はまだ「ここは仮の置き場所」ということをわきまえた表情をしているけれど、このままわたしがくつろいでしまうと、段ボール箱たちもこのまま定着してしまうと思う。開封されずに、積みあがったまま。山や崖が地形の一部であるように、わたしたちももともとこの部屋の一部でしたよ、と言わんばかりの態度で。このごろわたしは積まれた箱たちをテーブルや棚などの代わりとして便利に使いはじめていて、なんだか嫌な予感がする。