引っ越し・破

 2020年の中ごろ、引っ越し先を探した。
 選択肢がありすぎると頭がおかしくなりそうだったので、まずは探すエリアをそのとき住んでいたマンションから歩いていける範囲に限定した。近所なら引っ越しが楽そうだし、生活圏を変えなくてよさそうな点に安心感があった。生活の変化を最小限にしたかったのだ。
 わたしの探しかたはこうである。
 まず、賃貸情報サイトにエリアと条件を入力して、めぼしい物件をみつける。最初に設定した三万円程度という家賃は東京ではかなり厳しい条件だけど、わたしの住む小平市は東京とはいえ多摩地区だし、大学が多いエリアだから貧乏学生向けの物件も多い。小綺麗な部屋や広い部屋こそ望めなくても、それなりの数の物件がヒットする。そこから、譲れない条件を入力して絞り込む。バストイレがあること、二階以上、ある程度料理ができそうな台所、交通量の多い道路に面していないこと。じぶんの荷物が一般的なワンルームにはとても入りきらなさそうなことはいったん無視した。
 候補をピックアップしたら、次の段階としては空室状況を問い合わせたり不動産屋に足を運んだりするものなのかもしれないが、わたしは根暗なのでそんな大胆なことはできなかった。なので、代わりに情報サイトに掲載されている情報と、グーグルマップを凝視した。間取り図と平米数から部屋の面積を感じ、どこで寝て、どこに座るか想像し、想像のなかで立ち上がってトイレに行ってみる。築年数や工法から、壁の薄さや暑さ寒さ、まわりから聞こえる生活音を推測してみる。建物自体の方角や、募集中の物件が建物のなかのどこに位置するのかを特定して、窓からの眺めを思い描く。地図をみながら駅からの道を心のなかで歩いてみる。最寄りのコンビニまでを心のなかで歩いてみる。最寄りのスーパーまで心のなかで自転車を飛ばしてみる。ストリートビューや航空写真を参考に景色を彩色する。休日の過ごしかたをイメージする。最寄りの喫茶店はここで、図書館はここだ。都内に出るときは、最寄りじゃなくてこっちの駅を使うのがいいかもしれない。そうしているうちに、物件はだんだん肉付けされて具体性が立ち上がってくる。駅や周辺施設との位置関係が、俯瞰的にも、実際に歩いているようにも把握できるようになる。
 頭のなかでその物件が育ちきったら次の段階に移行する。次の段階としてはさすがにそろそろ空室状況を問い合わせたり不動産屋に足を運んだりするものなのかもしれないが、わたしは根暗なのでそんな大胆なことはできなかった。代わりに、勝手に現地に足を運ぶことにした。なにしろ候補の物件はすべて自宅から徒歩圏にあるのでアクセスは簡単だった。このときのコツとしては、地図を参照しないことである。手ぶらで行くのだ。ここに至るまでに地図のうえでさんざんなぞった道を、答え合わせのように実際に歩いてみる。目当ての物件を含む集合住宅を外から眺めながら、どの窓が〈わたしの家〉なのかをたしかめる。
 これが、ほんとうに楽しかった。それまでは自分のなかであくまでバーチャルな位相にあった道や建物が、現実の世界に三次元的に出現するのである。空想世界のこうした具現化をゆめみたことのない子どもがいるだろうか。はじめて来るにもかかわらずよく知っている道を歩くときの不思議な感覚は、まるで夢のなかでよく訪れる、夢のなかにしかないはずの場所が現実にあらわれたかのようだった。しかしまた同時に奇妙な現実感の欠如もあり、わたし自身がペグマンになってじぶんの脳内を歩いているのではないかと疑いたくもなるのだった。
 この新しい遊びにわたしはけっこう夢中になった。地図と道が一致するのは当たり前のことなのに、地図のとおりの道がひらけるたびにいつも興奮した。
 忘れられない物件はいくつもある。行きつけのコメダ珈琲店の裏庭のような位置にあるぼろぼろのアパート。廃業した材木屋の二、三階が住居になっている古いマンション。家賃を低く設定するとなにかしらの欠点がある物件しか出てこないわけだけど、その欠点の種類は意外と多彩なものだった。平均的に何かが少しずつ足りない物件、少し狭く少し暗く少し古く少し辺鄙で少し汚い、という感じの物件よりも、欠点の一点突破のような物件を魅力的に感じた。物件としてのクセがつよければつよいほど心に食い込むのだった。なかでも印象に残っているのは、小さな雑居ビルの四階に入っている住居だった。ある駅前のささやかな商店街のなかのビルだ。前後を線路と道路に挟まれ、左右をそれぞれ隣のビルに挟まれた窮屈な空間に建っていた。一階から三階にはすべて居酒屋やスナックなどの飲食店が入っていて、最上階の四階もおそらくもともとは商業施設が入っていたのを、むりやり住居用に改装したものと思われる。エレベーターなしの四階は店舗には不利だったのかもしれない。
 写真をみるかぎり室内は真っ白の洋風な内装にリフォームされていて、ちょっと安っぽい雰囲気はあるもののヨーロッパのアパートのようだった。だけど、ビル自体はかなり古くて外観も小汚い。写真だけみていると中と外が頭のなかでうまく一致しない。そのそぐわなさも含めてなんだか秘密の屋根裏部屋のようだった。小さなビルなので、ひとつのフロアにテナントはそれぞれひとつしか入っておらず、四階はその住居ひとつだけだった。つまりそこに住んだ場合、そのビルで寝起きする唯一の人間になることと、最上階を独占できることが約束されていた。
 ここに住んだらビルの主になったような気分になるだろうなあ!
 階下からは酔っ払いの話し声やスナックのカラオケなどが遅くまで聞こえてくるだろう。外からは電車の音や踏切の音がするはずだ。それら都市的な雑音に包まれながら塔のてっぺんのような孤独な場所で眠る生活はすくなからず魅力的に思えた。現実的にはエレベーターなしの四階は引っ越しがあまりに大変そうだし、飲食店上の物件は虫害が多いというし、雑音は三日で嫌になりそうだし、住むことを実際に検討するには難のほうが多い物件だったのだけど、塔のてっぺんに住むというイメージにとらわれてしまったわたしはうっとりしながらそのビルの前を何回も往復した。
 しばらくしたら塔のてっぺんに住むことに飽きたので、次は閑静な住宅街の奥地にある小さなアパートを検討することにした。和室というのもまたいいなと思った。大通りから一本入り、両側におもに一戸建てが並ぶしずかな道を心のなかで歩く。こんなことを続けていてもほんとうの引っ越し先は永遠にみつからないのだということには気づかないまま、百万年の時が流れた。