引っ越し・序

 2020年の春ごろ、引っ越しをする必要に迫られた。
 もともとは実家だったマンションにわたしはわりと長くひとりで住んでいた。そのマンションを売るから退去してほしい、という連絡が父親からきたのだった。
 こちらは家賃を払っておらず、向こうにとっては所持しているだけで経費がかかっていくマンションである。わたしはどうも分が悪かった。ひとりで住みつづけるには広すぎる家であることも前々からあきらかだった。ただ、家賃という支出がないことでどうにか持ちこたえていたわたしの生活のデザインを変更するには、2020年の春というのは最悪のタイミングだった。もともと貯金はないけれど、月収がとつぜん著しく減って、向こう数ヶ月食べていけるのかが深刻に怪しくなっていた。退去どころか十万円送ってほしいくらいだった。
 ご存知かもしれませんが東京は新型コロナウイルスの影響でちょっと大変で、と、メールを送った。この状況が落ち着くまで猶予をいただけませんでしょうか?
 あっさりと「コロナは長引きそうでキリがないから待っていられない」という返事がきたのが一回目の緊急事態宣言の発令と同時くらいだった。返事がきたときスーパーで買い物をしている最中だったわたしは、世界と日本と東京と自分の生活の先行きの暗さにくらくらしてしばらく外に座り込んだ。ちょうどそのころ、増えはじめていた生活困難者に対して、家だけは、住所だけは失わないで、という呼びかけをよくみかけるようになっていた。退去は今は無理だということをどうにか説得しなければ、とひとたびは思ったものの、けっきょくその後すぐに話を打ち切ったのは、こちらの交渉を却下されることを自分の耳がいちいち「あなたの生死には関心がない」という意味に聞き取りはじめることがこわかったからだった。2020年の春の東京はそういう状況だったと思う。
 はい、新居を探します、と、なんのあてもないまま返事をしたきり、わたしは動けなくなった。どう考えても、どうしても引っ越しをしたくなかった。お金がなかったし、家族の跡地が消えるのもおそろしかった。あるいは、家族の跡地が消えるのがおそろしかったし、お金もなかった。その二つの理由はときには半々に思えたし、ときには片方だけが本音で、もう片方は本音を正当化したり補強したりするための自分に対する建前なのだとも思えたけれど、そうだとしてどちらが本音のほうなのかが自分でもわからなかった。また、ときにはどちらも無駄にじぶんを縛り付けるものにも思えた。だけど、引っ越しの初期費用がないのはもちろん、わたしの平時の収入でも固定支出を増やせる余裕はなかったし、この家がなくなると妹が帰ってこられなくなるような気がすることもこわかった。
 父親からはときどき新居探しの進捗を訊ねる連絡がきた。引っ越したくない気持ちが引っ越し自体のハードルをどんどん引き上げていって、一歩目を踏み出す前からわたしのなかは、無理だ。とても無理だ、という気持ちでいっぱいになっていた。
 ある女の子がしばらくうちに泊まっていったのはそのころのことだった。事情があって今まで住んでいた家に住みつづけられなくなり、新しい住まいを確保するまでのあいだの仮住まいが必要になった子だった。最終的には二週間弱滞在した彼女が無事に新しい家に引っ越していった直後に、どういうわけかうちには別の女の子が泊まりにきた。彼女も事情があって今まで住んでいた家に住みつづけられなくなり、新しい住まいを確保するまでのあいだの仮住まいを必要としていた。リプレイのようにその子も二週間弱滞在し、新しい家に引っ越していった。
 一人目の子と二人目の子のあいだにはとくに相関関係はなく、こんな珍しい理由の客がどうして立て続けにやって来るのかわけがわからなかったけれど、なんだか偶然のようには思えなかった。じっさい、偶然ではなかったと思う。もっとも現実的な解釈は、このころ全世界で似たような出来事が起きていたのではないか、と想像することである。世の中では「コロナ離婚」という耳慣れない言葉がささやかれはじめていた。うちに滞在したふたりは、どちらの事情にもコロナウイルスは直接的には関係なく、どちらも離婚などでもなかったけれど、世の中にある関係性は婚姻だけではないし、さまざまな現象の原因と結果のすべてがわかりやすく結びつくわけでもない。社会に大きな負荷がかかるとき、そのしわ寄せが弱者にたどりつくころには原形をとどめていない場合も多いはずだ。昨年から今年にかけては、どれほどの人が「これはパンデミックのせいなのだ」と気づきもしないままに生活を失ったのだろうかと思う。
 だけど、わたし自身の解釈はもうすこしロマンティックかつ自分本位なもので、彼女たちのことを、運命がわたしに出してくれた助け舟だったのだと思っている。
 当時のわたしは正直言って自分の問題で精いっぱいだったので、彼女たちに対して、なにもしなかった。二回とも、緊急避難的に駆け込んできた子がけっきょくなし崩し的にしばらく滞在していくのをぼおっと眺めていただけだった。愚痴に耳を傾けたりもしなかったし、ご飯をつくってあげたりもしていない。励ましたり、なにかを手伝ったりもしなかった。たぶんお茶の一杯を淹れたことすらなかったんじゃないか。勝手にマイペースにふだん通りの生活を送るわたしをよそに、彼女たちはなんかびっくりするほどタフだった。さっさと不動産屋に行き、さっさといくつもの内見をまわり、さっさと新居を契約して、あっという間にうちから消えた。
 なんだか竜巻のようだったけれど、この竜巻のエネルギーに巻き込まれていけばわたしにも同じことができるのかもしれない、とぼんやり感じたことを覚えている。僥倖だったと思う。なにかに巻き込まれることくらいしかわたしにできそうなことは残っていなかった。彼女たちの動きは、言わばわたしがとるべき行動の早回しのシミュレーターだった。世の中には親切な不動産屋もいることも、フリーターでも家が借りられることも、人間には引っ越しができることも、二万円台でまあまあ住めそうなアパートがあることも、ぜんぶ目の前でみせてもらった。二人目の子が新居に落ち着いて、「ベッドを買うんだけど、色で迷ってる」と連絡をくれるころには、わたしはどうにかじぶんの新居を探しはじめていた。
 彼女たちはもしかすると間違ってわたしに感謝したりしているかもしれないけれど、わたしが、助けられた。くらくらして座り込んだスーパーの外の暗がりから、腕をつかんで、引っ張ってもらったのだった。
 ふたりはぜんぜんタイプが違って、一人目はとにかく物静かだった。わたしが深夜に帰ると、すでにぴったりと閉ざされた個室のドアが彼女がもう就寝していることをしらせた。冷蔵庫のなかにノンアルコールビールが現れたり消えたりした。黙ってゴミを出しておいてくれた。二人目はあどけなくて、わたしがどんなに遅く帰っても部屋からぴょこっと顔を出して「おかえりなさい」とにこにこした。それから数時間は台所の床に座っておしゃべりをするのが常で、ちょっとしたかわいいお菓子や変なお菓子をよく買ってきてくれた。
 ふたりが口をそろえて言っていたことがある。この家、夜中にときどき窓の外を大声で歌いながら通り過ぎる人いますよね?
 たしかにいるんだけど、道路にはたまにいるものだと思っていた。珍しいの?