みみず救出劇

最近はおもにみみずの救出活動をしている。アスファルトの道路の上に這い出てきて土のなかに戻れなくなり、路上で乾きはじめているみみずを手近な棒で手近な土の上に戻す活動。生命の危機にさらされているみみずにとってわたしは控えめに言っても救世主なのにみみずはだいたい迷惑そうに怒って身をよじっている。
 
この活動は、家に迷いこんでくる生き物を、いくつかの例外を除いてできるだけ殺さずにご退出いただくことにしている習慣と関係がある。わたしはアンチ殺生なわけではなく、虫の生涯もみみずの生涯も正直言ってまったくどうでもいいのだけど、あまねく「死骸」というものが苦手なのだ。虫全般はそれほど苦手じゃない。下手に殺してしまって死骸にしてしまうとそれを処理するのに多大なストレスを感じるので、逃げたり動いたりする虫を運搬する作業が多少めんどうくさくても、生きている姿で窓から出ていってもらうほうが気が楽。
みみずを助けているのもそれと同じ理由で、アスファルトの上で乾きかけているみみずはほぼ100%の確率で数時間後には死骸になる。蟻などがすっかり片付けてくれるまではアスファルトの上で死骸として乾きつづける。からだが乾くと生きていけない性質のくせにああやって頻繁に餌もない道路に進出してくるのはなにを考えているのか、脳みそは入っているのか。わたしだって日光も夏も暑さも乾燥も苦手だけど、わたしはちゃんと夏には炎天下には出ないでエアコンの効いた場所に引きこもるように工夫しているのに、みみずには呆れるばかり。わたしがあまり通らない道でそういうばかなみみずが何匹死んでいてもわたしは構わないけれど、よく通る道に死骸が存在するのはほんとうに嫌なので、それを未然に防ぐために見かけると仕方なく救いの棒を差し出している。だから、「あのとき助けてもらったみみずです」とお礼の品を持って訪ねてくるのはやめてほしい。戸口のみみずをまた土の上に戻さなきゃいけなくて大変だから。
 
家に入ってくる生き物を殺さない習慣のうちの「いくつかの例外」の筆頭はまずごきぶりで、あのひとたちは出ていかない。ほんとうは野外で生きているほうが幸せなのにうっかり迷い込んでしまった種類の虫たちと違って、好んで家に居座っているので、こちらとしても居住権を賭けて戦うほかない。
それから蜘蛛。蜘蛛のことは好きなのでうちにいてくれるというならぜひいてほしい。
最後は蚊と最小サイズの蛾、及びそれ以下のサイズの生き物。これらは小さすぎて追い出すのが困難な上に、蚊や最小サイズの蛾はわたしのなかでは「虫」というより「綿埃」に近いジャンルにカテゴライズされているので、死骸化することにストレスがない。生きてることはたぶん確かなので綿埃扱いも申し訳ないような気もするけれど、どこかでは線引きをしないといけないというこちらの都合を少しでもわかってもらえたらうれしい。このところ小さい蛾はよくやっつけている。わたしは蛾をやっつけるのが上手いと思う。